2021年06月11日

中学校長からも「久保校長の提言と大阪市教育への意見」が出される!

木川南小の久保校長に続いて、6月8日、港中の名田校長が「久保校長の提言と大阪市教育への意見」を出されました。facebookにアップされている意見書を掲載します。なお、当初にアップされたものから一部訂正を加えているとのことです。

「久保校長の提言と大阪市教育への意見」
大阪市立中学校 校長 名田正廣

大阪市立中学校に奉職して 38 年目ですが、私は今、教員生活の中で最大の危機感を感じています。

✳︎その理由は教員採用試験の倍率の低さや本校において大阪市外の採用試験の受け直し希望、他職への再就職をする人も増えています。また、多くの教員養成大学系の先生を知っていますが、大阪市外の学生の大阪市教員採用試験出願者が減り大阪市出身者でも大阪市は受けない人が増えたとよく聞きます。

もうずっと前から教頭のなり手が少ないですが、その状況はたいへん深刻です。小学校は自給自足できず多くの中学校籍の先生が小学校の管理職に配置転換されている現実があります。

他府県では教頭職には現在でもそう簡単になれるものではありません。他県の第 2 の地方都市の教育長をしている人が同期の友人でいますが、彼は、「校長の推薦がない限り教頭試験を受けることはできない。受験を校長から勧められたら、その先生は能力を認められたと非常に名誉なことと頑張る」と言っています。それが本来の形です。

教頭のなり手が減っていると言われてもう 10 年近くになります。

昨年 12 月の大阪市小中学校の常勤講師の欠員は60人だったようです。本校でも講師が必要になった時に、教育委員会人事担当にも連絡はすぐ入れ探してはくれますが、かなり長期間待たねばなりません。多くの管理職が欠員の先生の代わりに授業に入っています。本校でも毎年 2~3 名は SNS を介した自力での人材確保です。しかし、本当にもう限界です。

私は再任用 2 年目ですが、同期や 1 年下の校長の多くは定年で退職しました。仲の良かった校長にやめる理由を聞くと「もうしんどいねん」との枯れた返事でした。教頭から校長への栄進者が増えるのはうれしいことですが、力のある教頭候補が増えない限り、教育の改善は望めずそれどころか欠員さえ予想されます。教頭は言うまでもなく誰でもできる仕事ではありません。最悪の場合、学校の要である教頭のいない学校なんて想像しただけでも恐ろしいです。✳︎
市長の記者会見では久保校長の提言の内容や出た状況など真剣に聞く様子はなく、「校長だけど現場が分かってない。社会人として外に出たことはあるんかなと思いますね」「疲弊してやりがいが見つけらないんやたら、違う仕事を見つけたらいい」といったことが非常に大きく報じられています。もちろんその部分だけではないと思いますが、そのほかに伝わってくることは何もありません。

もし、発言に「お前の代わりはいくらでもいる」といった意味が込められているのであれば。市長には知っていただきたい。大阪市には代わりになる人はもういません。市長の発言は私は怒りよりも情けなくなり、同じ校長として頑張ってきた久保校長の気持ちを考えると、報われない虚しさを感じます。もう、自身も続ける気力が失せました。

そして、何も言えない教育委員会では命をかける気にはなりません。勇気をもっての進言もみ消されるのは、久保校長が何度か市民の声などで問題提起した対応を見ても明らかです。校長会で発言しても施策に対しては取り上げられることはありませんし、言える雰囲気でもありません。現場でも、疑問に思うことも言っても仕方ないと無機質になろうとし、心を病む先生が増えています。

私は全国レベルの研究会で挨拶をしたことが数年前にありましたが、そんな時の大阪市の注目度は残念ながら「興味本位」で驚くほど高かったです。久保校長の提言を、もしその時「朗読」できたら、他都市の校長は「常識が常識でない大阪市の現実」に「涙」を流したことでしょう。

私が書いた状況はオーバーでも何でもありません。こんな状況で良い教育ができるでしょうか?

日々、教職員は子どもたちのために必死に頑張っています。彼らが健全でないと健全な学校はできるわけがありません。

そして、そうなった原因は今の教育施策であることをご認識ください。全国的にも見られない新自由主義的教育施策を急激に導入されて、大阪市はハレーションを起こし、すでに「死に体」に近い状況です。私のところには多くの学校の教員からの苦しみの相談が届けられています。

かつては大阪市の教育現場は大人気でした。もちろん、その時代の課題は当然あり改善は必要でした。当時も今も私は「不易と流行」が教育にとって最も大事なことと思います。私の現在の勤務校では大阪市教育振興基本計画の「流行」である「先進的な取り組み」を取り入れ、本校の実践が広い範囲で広がりつつあります。そして、「不易」の部分である「人を大切にする協働の精神」を「職員のバーンアウトゼロ」に置き換えて毎年学校目標にしています。しかし、ストレスを緩和するのはそう簡単ではありません。先生が一人バーンアウトするとその補填で健康な職員が穴埋めに回らねばならない。穴が開いても大阪市では補填はそう簡単にない。その現実を考えると教職員にも「競争より協働」が必要な部分であると校長として強く思い実践しています。

大阪市教育振興基本計画の「教育振興」をするための最も必要なことは「人材確保や育成」に重きをなすことではないでしょうか。そのことを大阪市全体で置き去りにした結果、その最も大きなしわ寄せが「人材確保」に出ていることは明らかです。どこも人材確保は厳しいと聞き流すのではなく、今の現実をはっきりご認識され、市長はトップとしてしかるべき行動をお取りいただきたいと思います。

教育長におかれては今回の久保さんへの処分は「教育振興」につながる「人を大切にする観点」をもってお取り計らいのほどよろしくお願いいたします。また、法に基づく「教育の独立性」をはっきりとさせていただきたき崩壊の危機である大阪市教育をお救いください。

ここで立ち上がっていただけたら今まで以上に「協働の精神」で大阪市教育振興のために奉職する覚悟です。

なお、この意見書については大阪市の公開文書として開示対象になるようよろしくお願いします。

失礼の段は久保先生と同様に「提言」としてお許しください。
posted by terama at 15:20| Comment(0) | 大阪の教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪市長・教育長宛に「木川南小久保敬校長提出 『大阪市教育行政への提言』の検討・実現を求める申入書」を提出

6月9日付で、松井・大阪市長、山本・大阪市教育長あてに、「どないする大阪の未来ネット」「大阪府・市の労働と人権問題を考えるネットワーク」の連名で「2021年5月17日付 木川南小 久保 敬校長提出 『大阪市教育行政への提言』の検討・実現を求める申入書」を提出しました。

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2021年5月17日付 木川南小 久保 敬校長提出 「大阪市教育行政への提言」の検討・実現を求める申入書

当団体は、大阪府政及び大阪市政に対しての政策的な研究や提言、及び労働と人権問題や差別の解消をめざして活動する市民団体であります。

さて、今年5月17日付にて、大阪市立木川南小学校の久保 敬校長より、市長に対して、「大阪市教育行政への提言」と題する文書が出されたことを知り、提言内容を読むことができました。

同提言の中で校長は冒頭で次のように述べています。

『子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている、学校は、グローバル教育を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒さ
れる。そして教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある』。

そして、具体的な現場の実態や悩みを述べた上で、次のように「警告」を述べています。

『私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。 過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ、「生き抜く」世の中でなく、「生き合う」世の中でなくてはならない』。

この久保校長の提言について、私たち市民は大きな共感をおぼえました。次世代の市民として育成される子どもたちには、国籍や民族を問わず、グローバル化
する社会の中で多様な文化的背景や価値観を互いに認め合い、共に協力しながら社会運営していける市民的な資質がますます必要となってきます。それは、国際協調や友好平和な世界の維持・創出のためにも必要なものです。子どもにとって「学び」は、市民社会の中で多くの人々とともに生き、未来に向かって歩むために必要なものと考えます。

しかし、グローバル経済の進展の中で国家間の競争、企業間の競争がより激しくなり、国民、市民は競争に勝ち抜くことが美徳であり、使命であるかのように先導されて、社会生活に最も必要な「共生」、「協働」が失われ、地域では「コミュニテイ」さえもなくなりつつあります。こんな大人社会の現実を、未来を担う子どもたちに押し付けてはならないし、まして人間形成を育むべき教育方針や学校現場に持ち込んではならないと思います。ここ10年、大阪では教育への政治介入が強まり、知事や市長のトップダウンに基づく教育行政がまかり通り、民主的教育運営、生き生きとした教育現場の姿が失われていくことに大きな危惧を抱いていましたが、コロナ禍においても、知事・市長の独断で学校運営を指示する現実を見る時、その疑念をより強く感じざるを得ません。

今回の久保校長の市長への提言は、真に学校現場の悲痛な叫びであると同時に、保護者のみならず、私たち市民全体への重大な問題提起とも思えます。

市長は、報道によれば、提言に対して「従えないなら組織を出るべし」、「校長なんだけど社会がわかってない、社会人として外に出たことがあるんかね」、「今の時代、すごいスピード感で競争社会を生き抜いていかねばならない」、「先生として耐えられないなら仕事を変えた方が良い」などと言われたそうですが、まさに現場を見ようとしない強圧的な態度だといわざるを得ません。

そこで私たち2団体は、この件に関して共同で下記の3点を強く申し入れいたします。

尚、本申入事項に対して当団体宛に文書での回答を要求いたします。

申入事項

1,久保敬木川南小学校校長の提言をしっかり受け止め、早急に実態調査と真摯な議論を行い、今後の教育行政に生かしていくこと。

2,このような内部からの具体的「提言」や「意見具申」に対して、いかなる処分や圧力もかけないこと。

3,教育現場や教育委員会の中で、より良い議論ができるような、風通しのよい環境をつくること。
posted by terama at 15:02| Comment(0) | 大阪の教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月21日

木川南小・久保校長の「提言書」への松井市長・市教委・維新からの攻撃を許すな!

大阪市淀川区の市立木川南小学校の久保敬校長が、市の教育行政への「提言書」を松井一郎市長に実名で送りました。この「提言書」の内容を支持する動きは、ネット上で大きく広がっています。朝日新聞などメディアでも取り上げられています。

しかし、松井市長は早速、久保校長に対する攻撃を始めています。新聞報道によれば、「従えないなら、組織を出るべき」として、「校長だけども、(社会の)現場がわかってないというかね、社会人として外に出てきたことあるんかな」「今の時代、子どもたちはすごいスピード感で競争する社会の中で生き抜いていかなければならない」「民間の会社であろうと、必ず評価のシステムがある。先生として、それは耐えられないと言うなら、仕事を変えたほうがいい」「(市教委の教育振興基本計画の)ルールに従えないなら、組織を出るべきだと思う」など、久保校長を教育現場から追放する動きを見せています。

また、市教委は今後、市職員基本条例4条の「職務や地位を私的利益のために用いてはならず」に反するかどうかを確認するとして、「事実を確認して厳正に対処する」と処分をチラつかせています。

現場の教員はもちろんのこと、校長からも大きな共感が寄せられているそうですが、松井市長や市教委、大阪維新の会からの攻撃がさらに強まることが予想されます。久保校長をこうした攻撃から守るために、この提言書への支持をさらに大きく拡大していかなければなりません。

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[久保校長の提言書]

豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。

 学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。

 今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。

 現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。

 また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う一人一台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛(づら)くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚(むな)しく、わたしたちの教育への情熱を萎(な)えさせるものか、想像していただきたい。

 子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。

 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

 間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

 根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

令和3(2021)年5月17日

大阪市立木川南小学校 

校 長 久保 敬
posted by terama at 16:05| Comment(0) | 大阪の教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする